洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第8話

第8話: 3月3日のプレゼント、ある子供の葬儀、ある休日

 ※彼の遺品のUSBフラッシュメモリ内「2008」フォルダから「200803」より。ブログ掲載の都合上、一部自主規制あり。

03/01/08(2008年3月1日)
この日は日勤。この日は休みのパートナーと朝食を取る。
この前の書類選考結果の手紙のことが、何だか頭に残っている。「不採用」バージョンの作成とプリントアウトと封筒詰めをしていたせいからか、まだ気になっている・・・。

午前は、昨晩に自社ホールであった葬儀会場の撤収作業の手伝い。午後はデスクワークをして、この日の勤務は終わった。

03/02/08(2008年3月2日)
この日は日勤。この日は休みのパートナーと朝食を取る。

午前。
勤務開始早々。(東京都)福生市若い女性から、今朝亡くなったという7歳の子供の遺体移送と葬儀の依頼の電話を1件受ける。遺体の移送先は、この女性の家。

午後。
Kくんと一緒に、亡くなった子供の遺体が安置されている福生市の病院へ霊柩車でお迎えに行く。そこで、午前に電話をくれた女性と男性(たぶん、亡くなった子供の両親。)に会う。そして子供の遺体を、病院の霊安室から担架に載せて霊柩車へ積み込んで固定する。それが済むと、男性と女性も同乗させて、一緒にお宅まで運ぶ。

お届け先へ向かっている最中。
僕はお父さんとお母さんに、女の子を安置する場所が決まっているのか、その場所は掃除と消毒はしてあるかを訊く。すると、お父さんの方が「娘を寝かせるのは、私たちが川の字になって寝ていた寝室を希望したいです。消毒はしていません。」と言っていた。僕は「お嬢様にも、お二人にも大変失礼かもしれませんが、*1葬儀の日までお二人には健康でいていただきたいので、お疲れのところ、誠に申し訳ありませんが、お嬢様を寝かせる場所の掃除のやり直しと消毒をしていただくことは出来ませんか?」と、お父さんに頼む。

女の子の届け先に着くと、僕はお父さんのほうに遺体を安置する場所(寝室)の掃除のやり直しを頼む。お母さんも、お父さんの手伝いに向かおうとするの止めて、霊柩車の中でK君と女の子と少し待っていてもらえないかとお願いした。
僕は、お父さんの消毒の手伝いをするために、女の子の安置場所の消毒するものを探しに、近所のドラッグストアへエタノールの瓶と瓶詰めの精製水などを買いに行った。

どうにかして、安置場所の清掃と消毒を済ませると、僕はK君と一緒に担架に載せた女の子を自宅の中にゆっくり運び入れる。
女の子の安置と女の子の身支度を整えた。そしてK君に「今すぐに、本社の方へ霊柩車を戻して、社用車に乗り換えて戻ってきて」と指示する。僕はK君がいない間に、詳しい話と葬儀の要望などを聴いたり、子供の身体の計測をしたり、女の子の遺影用の画像データを預かった。
その後、戻ってきたK君が運転する社用車に乗って、会社へ戻る。
K君が「奥様と*2車内で待っている間、会話が続かなくて、気まずかったです」と、僕に語っていた。そりゃそうだ・・・。

会社に戻ると、オフィスには既に夜勤の人が出勤していた。
この日の僕(とK君)の勤務は終わった。

03/03/08(2008年3月3日)

2008年3月3日の彼

©2021 Ryoichi Satomiya

この日は日勤。パートナーと朝食を取る。

朝から、デスクワーク。

午後。
若手の女子社員たちから、雛あられやイチゴ大福をプレゼントされる。10年くらい前までは、2月14日か15日になるとチョコをよく貰ったが、50歳になってからはチョコをプレゼントされなくなった。
その代わりに、50歳になってからは、毎年3月3日になると、なぜか若手の女子社員たちから、雛あられかイチゴ大福をプレゼントされるようになった。なぜなんだろう?
別に、雛あられもイチゴ大福も、嫌いではないけれど・・・。

夜。
パートナーと、会社でもらったイチゴ大福の“評論会”。
スーパーやコンビニに置いてある物みたいに、加熱したイチゴが入っている大福であれば、自分のペースで食べることが出来る。しかし、彼女らがくれるイチゴ大福には生のイチゴが入っているので*3足が早い。そのため、毎年3月3日の夕飯は強制的にイチゴ大福になる・・・。
「今日は一年分のイチゴ大福を食べるのか」と、毎年パートナーからは皮肉交じりに僕に言ってくるが、あの人もこのイチゴ大福だらけになる日のことが、それほど嫌ではないようだ・・・。
そう言えば、この数年、自分で金を出して、雛あられやイチゴ大福を買っていない気がする・・・。

03/04/08(2008年3月4日)
この日は日勤。パートナーと朝食を取る。

午前中。
K君に女の子がいた地域の市役所に、火葬場の予約などの手続きに行ってもらっている。
僕は女の子の遺影が出来上がるも待ちながら、女の子の葬儀会場について悩んでいる。葬儀は女の子の状態を考慮して、出来る事であれば明日と明後日に済ませてあげた方が良いのだが、寄りによって、明日と明後日に空きがある斎場や自社ホールが見つからない・・・。
少しして、福生市にある*4家族葬」専門ホールの担当者から電話が来て、参列者を制限していただければ対応可能だと言われた。
急いで、女の子の家の電話とお母さん携帯電話に何回かかけるが、連絡がつかない・・・。

午後。
K君が市役所から戻ってきた。明後日の午後に火葬場の予約が取れたと報告を受けたその時、女の子のお母さんから電話が来る。ようやく繋がった・・・。明日と明後日であれば葬儀が出来る場所が1ヶ所あるのと、参列者の人数を絞ってほしいことも伝える。

03/05/08(2008年3月5日)
この日は日勤。パートナーと朝食を取る。

朝から福生市にある自社ホールへ行って、女の子の葬儀会場の設営をする。
今回の会場は「家族葬」専門の自社ホール。少人数での葬儀専用のホールなので、会場の規模が狭いため、僕がお通夜の受付係兼告別式の進行役。子供の参列者に、焼香のやり方と献花のやり方を指導する係として、元・保育士の女性社員・1名。力仕事は恰幅のいい男性の若手社員・1名で行うことになった。

この女の子は浄土真宗の信者の家の子だと伺っていたので、当初は会社のほうで浄土真宗のお坊さんを手配しようとしていたが、朝の会場設営中に来た一本の電話によって、お坊さんの手配をやめることになった。
その電話は、女の子のおじいちゃんである、埼玉県のとある浄土真宗のお寺のご住職から「初孫をちゃんと送りたいので、経を上げさせてもらえないだろうか」と懇願される。電話で上司とも相談した結果、お願いすることにした・・・。

午後4時過ぎに、あのご住職が埼玉県から到着する。
今回参列者が幼児や子供が多くなることを考えて、お通夜の開始時間は午後5時からとした。
お通夜が始まると、ご住職が涙を流しながらお経をあげている。
7歳の女の子の葬儀だったせいか、参列者は幼児連れの親と小学生が多い。しかし、子供の一人が感情むき出しで泣きだすと、本心なのかそれとも周りにつられたのか、号泣する子供がたくさん出る・・・。
この子供たちの涙につられてしまったのか、この日は女の子の両親と親戚ももらい泣きをしている。
この時、会場は子供たちの涙と女の子の両親と親戚の無念で満ちあふれていた・・・。

03/06/08(2008年3月6日)

2008年3月8日の彼

©2021 Ryoichi Satomiya

この日は日勤。パートナーと朝食を取る。
朝から曇っている。

朝から福生市にある自社ホールへ行くと、再び会場設営をして、午前時に昨日の女の子の告別式が行われた。

告別式が済むと、女の子を積んだ霊柩車(今回は別の社員が霊柩車の運転をしている。)と、女の子の家族と親戚を乗せた車が、会場を離れたのを確認すると、僕を含む社員3名で会場の撤収作業をした。この日の勤務は終わったが、小さい子供の葬儀の手伝いはいつでも心身的につらい・・・。

03/07/08(2008年3月7日)
この日は夜勤。
この日は、書類の整理と火葬待ちのために預かっている亡くなった人の状態確認などをした。このところ、火葬されるのを待っている人がいることが多いような気がする・・・。

03/08/08(2008年3月8日)
この日は夜勤。
この日は、書類の整理と火葬待ちのために預かっている亡くなった人の状態確認。火葬待ちのために預かっている人たちがいるスペースの中には、昨日までなかった業界専用の消臭剤などの薬物が複数置かれている。そのせいなのか、頭痛がひどい・・・。
トイレ休憩ついでに、社屋の外で深呼吸を2回くらいした・・・。

03/09/08(2008年3月9日)

「新宿の目」と彼。

©2021 Ryoichi Satomiya

この日は休み。
ようやく僕とパートナーの都合が付いたので、この日の午後に、2ヶ月ぶりに新宿の*5パートナーの行きつけの理容室へ行く。3月なのに、朝から曇っていて、昼(の気温)は15度だったので少々蒸し暑い・・・。

僕は背広に着替えて、新宿駅の地下広場にある*6“目玉”のところで、六本木の会社で働いているパートナーと待ち合わせ。パートナーからは「この理容室へ行く時は必ず背広姿になるように」とパートナーから言われていた。そして、ここに行くのは毎回平日の夕方と決まっている。パートナーがそう決めている理由は、この理容室には平日の夕方だけ、靴磨き職人が来るから。お互い靴の手入れは苦手なので、僕らにとって、ヘアカットの日は靴のメンテナンスの日でもある・・・。

2008年3月9日の彼

©2021 Ryoichi Satomiya

二人とも、理容師から*7少し遠巻きに「髪が伸びましたね」と言われる。ここには、お互いの仕事とスケジュールのせいで、僕もパートナーも2ヶ月くらい来ていない・・・。ヘアカットのほかに、「白髪ぼかし」か「ヘアカラー」はどうするか訊かれる。こういうのは良い取り方をすれば、僕らは大人の雰囲気が増してきたとなるのかもしれない。しかし悪い取り方をすれば、僕らに若さが無くなったとも言える・・・。

ヘアカットやフェイシャルケアなどといった理容室での用事を済ますと、僕らは*8「時屋」に行って、どら焼きを買って、この日は帰った。

→つづく・・・。


*1:当時、彼がこのような事を言っていた理由は、1970年代以降の葬儀業界の中で、遺体が原因の感染症の恐怖を叩きこまれていたからではないかと思われる。

*2:この場合は霊柩車の中のこと。

*3:日本で昔から使われている言葉で、飲食物などが腐りやすいことを現す。

*4:文字通り、亡くなった人と家族と一部の人だけで葬儀をする事。

*5:彼の死後に彼のパートナーへ取材したところ、東京都内のビジネスマンが集まるの有名な理容室で、細かい気づかいや好感度が上がる髪型のアドバイスもする店だったという。

*6:2018年まで新宿西口周辺に建っていた「新宿スバルビル」の地下に1969年からある「新宿の目」という、彫刻家・宮下芳子氏が制作したガラスのオブジェのことではないかと思われる。1970年代から現代にかけて、新宿西口の待ち合わせスポットの1つとして君臨し続けていた。しかし、2010年代から続いている新宿西口周辺の都市開発事業や、2018年の夏に「新宿スバルビル」が解体された都合で、この「新宿の目」も2030年までに取り壊されるらしいという噂が出ている・・・。

*7:少し距離が離れた所から目を向けること。

*8:東京・新宿駅西口の近くにある、どら焼きが名物の甘味処。

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