洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第10.5話

第10.5話:あるコント、“沈黙の食卓”、生きているってなんだろう?、福生での休日・・・の補足

昨日、私のネット環境に不都合があった都合で、公開が間に合わなかったものになります。

 ここでは、2008年3月25日と2008年3月31日と2008年4月2日について、補足説明を書こうと思う。

2008年3月25日に彼が書き残していたテキストの中に出てきた、花粉症のコントについてだが・・・お気づきの方もいるかもしれない。
このテキストの挿絵の1コマに描いたものは、かつて『ドリフ大爆笑』の中で放送されていた、加藤茶志村けんによるコントのオマージュである。現代では、花粉症と言えば、杉やヒノキの花粉のアレルギーのことを指していることが多い。だが、このコントが作られた1980年代から1990年代では、花粉症と言えば花の花粉のアレルギーのことだったようだ・・・。
それにしても、このコントのように、ある意味“頭がお花畑(生け花?)”の医師が花粉症の患者を診察するというのを思いつく人は、色んな意味で今後現れる事は無いのかもしれない・・・。

花粉症コント

©2021 Ryoichi Satomiya

2008年3月31日に彼が書き残していたテキストの中に出てきた、『寿命』という童話と、『日本アンデパンダン展』について。

この『寿命』というのは、グリム兄弟が書き残した童話の1つで、「今の人間は動物達からの寿命を分け与えてもらって生きているというお話」という哲学的な内容の作品。しかし、視点を変えると、この話は「30(歳)までは家を建て、子供作って楽しむ時代。それ以降の12年は“重荷を背負わされる”、次の18年は“体が弱り、歯も抜け落ちる”、最後の10年は“頭が鈍くなり、若者から笑われる”」そう言った意味も含んでいるという。
そして『日本アンデパンダン展』というのは、「日本美術会」という団体が、1949年から、年1回開催している、プロ・アマ・年齢・性別を問わずに、事前に手続きと出品料を払えば、誰でも作品を展示することが出来る無審査の美術展のことである。1949年から2006年までは東京の上野公園内にある東京都美術館で開催していたが、2007年からは東京・六本木にある国立新美術館で開催しているという。彼とパートナーが観たのは、上野で開催されていた頃のものだと思われる。
ちなみに、この2001年の『日本アンデパンダン展』には、私も別名で出品していたことがあるが、手応えがなかったのと、ある美術専門誌から「10万円払えば、(ある美術専門誌の)紙面に載せる」という電話が来たのを覚えている。
万年金欠病の私は、この10万円を払えなかったために、美術誌デビューを諦めたという苦い思い出がある・・・。

2008年4月2日に彼が書き残していたテキストの中に出てきた、“福生駅西口の木の板の床で古めかしい内装のパチンコホール”について。
かつての福生駅西口周辺には、「タンポポ」・「西川ホール」・「立川ホール」という1950年代に開業したパチンコホールがあった。これらの共通点は、“木の板の床で古めかしい内装”だった。

『ある山下テツローの場合』のために、2009年と2018年9月に、現地へ行ってリサーチ(潜入取材?)したことがある。
2009年に行った時の西口周辺は、パチンコホールが存在していた。
「西川ホール」は新台と古めのパチンコ台がある普通のパチンホールだったが、「立川ホール」は*1「みなし機」と呼ばれているパチンコ台だけで商いをしている怪しいパチンコホールだった。「タンポポ」は新台が少なくて、古めのパチンコ台が多いホールだったのを覚えている。

しかし、2018年9月のリサーチで、「西川ホール」と「立川ホール」が閉店していたことが発覚。後日、ネットのパチンコファンのウェブサイトの中で、「西川ホール」と「立川ホール」のその後が書かれていたのを見つける。「立川ホール」は2012年で閉店し、建物自体は2021年現在も残っている(2020年に福生市民が出している情報では、看板が取り外されているという。)。「西川ホール」は2014年に閉店し、その後解体されて、コインパーキングになった。
2010年代になっても、パチンコホールとして営業していたのは「タンポポ」というホールだけになっていた。この「タンポポ」というホールについては、彼が福生へ行くと良く打ちに行っていたというのを、生前の彼への取材の最中に語っていたのを記憶している。
しかし、この「タンポポ」も、2020年2月末に閉店したことが、一部のパチンコファンのSNSやホームページで発覚した。
これで、福生駅西口周辺のパチンコホールの事はこれで終わったと私は思っていた。
ところが、この「タンポポ」というホールだけ、話に続きがある・・・。

2021年6月のある日。
第10話を公開するための準備の合間に観ていたある動画投稿サイトで、偶然「タンポポ」のことが出てきた。
その動画を公開している人について調べてみたところ、この人は“ひげ紳士(以下、ひげ氏)”というユーチューバーで、埼玉県幸手市にあるパチンコホールの経営をしながら、自身のホールの模様を、2015年から『パチンコ屋買い取ってみた』という動画にして、公開しているのだという。

話を「タンポポ」に戻す。
なんでも、「タンポポ」の閉店の話を知ったひげ氏が、前々から構想していた“昔のパチンコ・パチスロ台で遊べる場所”実現のため、2020年2月末に閉店後に、ひげ氏が「タンポポ」のオーナーと交渉を重ねて、2020年7月に“昔のパチンコ・パチスロ台で遊べるゲームセンター”としてオープンさせたのだという。もちろん、ちゃんとした手続きを踏んでから営業している。
店の名前は「ゲームセンター タンポポ」。外見は昭和のパチンコホールだが、現行の法律的には“ゲームセンター”である。そのため、近年のパチンコホールのように、*2大当たりをしてもドル箱を持ってくる人がいないとか、獲得した出玉を景品に交換できないなどの制約があるので要注意。
このほかにも、昔のパチンコ・パチスロ台があるという性質の都合で色々とルールが設けられているので、詳しくは「ゲームセンター タンポポ」のページでご確認いただきたい・・・。

tanpopo777.com


→今度こそ、第11話へつづく・・・。

*1:日本の法律や、保通協(保安通信協会)の試験機関と都道府県の警察と公安委員で行われる試験を通ってから3年以上経っていて、「射幸性(ギャンブル性)」が強まっている可能性があるパチンコ台・パチスロ台のこと。本来、このような状態のパチンコ台・パチスロ台は、パチンコホールに設置・稼働してはいけないことになっているのだという。

*2:かつてのパチンコホールにあった、大当たりを出した人が自分でドル箱を取りに行くというルール。

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