洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第12話

第12話:ある研修と思い出、Nさんの卒業

 彼の遺品のUSBフラッシュメモリ内「2008」フォルダから「200804」より。ブログ掲載の都合上、一部自主規制あり。

04/11/08(2008年4月11日)

2008年4月11日の彼・その1

©2021 Ryoichi Satomiya

この日は日勤。パートナーと朝食を取る。

朝。
*1新橋へ向かっている。気温20℃になるといっているせいなのか、それとも電車の中の密集の中にいるせいなのか、本気で気分が悪くなりそうだった・・・。
午前10時10分前までに、新橋駅で新入社員たちと現地集合。点呼をとると、*2コミュニティバスに乗って、大学病院へ向かう。
この日は新入社員研修の一環で、午前に大学病院で行われる、監察医による*3病理解剖(62歳男性。2週間前に、この病院に食中毒で救急搬送されて入院していたが、昨晩になって容態が急変して亡くなったとのこと。)を学生たちと一緒に30分限定で新入社員7人と一緒に見学。僕がこの見学の担当になったのは、確か5年ぶりだ・・・。
しかし、10分後。
新入社員6人(うち1名は、退出直後に過呼吸発作を起こして倒れてしまい、ここの救急(病棟)へ担ぎ込まれた。)がリタイア。そして僕も、一部の医学生と共に、解剖室から出てきてしまった(そういえば、20数年前に受けた社員研修の時も、リタイアしていたような気がする。)・・・。
何年経ってもダメなのか、俺・・・。
結局、うちの新入社員で制限時間(30分)いっぱいまで観ていた人はゼロだった。しかし、医学生のリタイアも10人中5人いた。心臓も強くないと、医師にはなれないと改めて思った。

2008年4月11日の彼・その2

©2021 Ryoichi Satomiya

大学病院での見学を終えると、新入社員たちを大学病院の外へ移動・集合させる。僕は参加者の点呼をしつつ、みんなの顔を観ると、みんな顔が死んでいた。折角、緊張感を緩和させるために私服で来させたのに、この世の終わりのようなひどい表情の若人をこれ以上街の人にさらしてはいけないような気がしてきた・・・。
この状況を打破しようと思った僕は「実際のご葬儀でそんな顔していたらダメだよ。お客様に大変失礼な事になるので、そういう顔は今日で封印してください。」と僕は新入社員たちに言う。しかし、彼らは相変わらず表情が変わらず、無言を貫いていた。
僕は悩んだ末に、彼らを近くのコンビニへ連れて行くと、好きな飲み物を一人・1つ買ってくるように言った。そして、彼らを連れてコンビニの近くにある大きい公園へ移動し、病院の建物が目に入ら無さそうなところまで来たところで、30分休憩させた。ほかの人はどうか知らないが、大分前に、僕が入社して間もない頃の社員研修で解剖の見学をして落ち込んだ時に一人でこの公園に来て、缶コーヒーを飲んで、現実逃避していたのを今も覚えている・・・。
この日の研修はこれで終わらせて、気分転換を兼ねて、彼らと共に駅まで徒歩で戻る。駅に向かう途中、僕は彼らに「公園へ行って休憩をしたことは、上司とほかの人たちには内緒にしてね」と言った。彼らは「了解でーす」と言っていたけれど、あまり期待できそうもない・・・。
駅に着くと、明日も研修がある彼らの事を考慮して、この日は現地解散とした。

僕は社員たちを見送ると、駅の近くに停まっているコミュニティバスに飛び乗って、さっき救急に運ばれた新入社員の様子を見るために、再び大学病院へ戻る。
ところが、大学病院へ向かうバスの中で突然空腹感に襲われた。今頃になって、昼飯を食べていないことに気付く。このままだと、病院で倒れて恥をかく気がしたので、途中で降りて、近くにある*4茶店でコーヒーとプリンのセットを頼んで、急いで食べた。
その後、改めてコミュニティバスに乗って、大学病院へ向かった。
彼女のいる救急の病床へ案内されると、病床にいる彼女はまだ横になっていたが、さっきよりは回復しているように見えた。その後、彼女の処置をした医師が来る。医師によれば、*5一過性のものなので、今回は入院せずに、連れて帰っても良いと言われる。
病棟を出て、会計などを済ませると、僕は彼女とタクシーに乗る。彼女は僕に「本当にスイマセンでした!」と言いながら何度も頭を下げていたが、僕は「僕のことより、君自身のことを気にしなさい」と言って、彼女の謝罪を止めさせようとした。
新橋駅に着くと、彼女に「明日も研修があるから、まっすぐ家に帰りなさい」と言って、改札で彼女が無事に帰宅することを祈って、見送った。彼女の姿が見えなくなったのを確認すると、僕は改札を通って、そのまま家路へ向かった。

04/12/08(2008年4月12日)
この日は日勤。今日は休みのパートナーと朝食を取る。

今日も外は暑い・・・。

午前中。
新入社員たちは研修の一環で、今日と明日は(立川駅)北口にある大きなホテルの中で、ホテルマン体験に行っているという。そういえば、僕の頃の社員研修では新宿の大きいホテルでホテルマン体験をしたな・・・。

10時過ぎ。
昨日、過呼吸発作を起こして救急病棟へ担ぎ込まれた新入社員の事で、上司から小言を言われる。医療費を会社が負担するのかどうかを、お偉方からの判断を待つとも言われた。もしかすると、僕の今月分の給料の中から、(新入社員の)彼女にかかった*6救急医療費などが引かれる可能性がありそうだ。都内の大学病院の救急(病棟)だったから、想像しただけで胃が痛い・・・。
午後1時過ぎ。
デスクワーク中に「ネットで会社のページを見て電話した」という若い女性から、携帯電話で葬儀費用の相談の電話を受ける。3分くらい相談を受けた後に「検討させていただきます。」と電話終了。これ以降、この女性からの電話は来なかった。

04/13/08(2008年4月13日)
この日は日勤。今日は休みのパートナーと朝食を取る。
昨日とは打って変わって、朝から冷たい雨が降っている。

午前。
デスクワーク中に「ネットで会社のページを見て電話した」という若い女性から、携帯電話で葬儀費用の相談の電話を受ける。3分くらい相談を受けた後に「検討させていただきます。」と電話終了。これ以降、この女性からの電話は来なかった。

午後。
デスクワーク中に「ネットで会社のページを見て電話した」という若い女性から、携帯電話で葬儀費用の相談の電話を受ける。3分くらい相談を受けた後に正式な依頼になった。急いで、担当者へメールする。

04/14/08(2008年4月14日)
この日は日勤。パートナーと朝食を取る。
今日も、朝から雨が降っている。

デスクワーク中に「ネットで会社のページを見て電話した」という中年に男性から、デスクワーク中に「ネットで会社のページを見て電話した」という若い女性から、携帯電話で葬儀費用の相談の電話を受ける。3分くらい相談を受けた後に正式な依頼になった。急いで、担当者へメールする。その後、火葬式の依頼が5件来た・・・。

04/15/08(2008年4月15日)

2008年4月15日の彼

©2021 Ryoichi Satomiya

今日は日勤であり、Nさんの最後の出勤日。
パートナーと朝食を取る。
昨日と違って、晴れていて暑い・・・。

この日もデスクワークだったが、珍しく僕のところには電話が来なかった。だが、メールの回答に追われた。

昼の休憩中。
急いでバスに乗ってデパートへ行き、生花売り場にある完成した花束を1つ買い、簡単なメッセージカードも用意した。

夕方6時過ぎ。
大きな花束を持ったNさんに会った。僕が買って来た花束とは比べ物にならないくらいの大きさだった。労いの言葉と共に花束を渡して去ろうとしたが、Nさんが大変そうだったので、Nさんの車まで花束を運び、花束と、僕が持ってきていたメッセージカードつきの花束を一緒に後部座席へ積む。僕はNさんに、形式ばった定年退職の挨拶をすると、Nさんから「おめでとう・・・か。ありがとう。君も達者でな。」と僕に言った。挨拶を済ませると、僕は駐車場から走り去っていくNさんの車を見送った・・・。

→つづく・・・。


参考資料
 健保連「かしこい患者になろう〜電話医療相談の現場から〜 By COML vol.96」
https://www.kenporen.com/health-column/coml/vol_96/

*1:「しんばし」と読む。東京都港区にある町の名前。新橋駅の周辺にはオフィスが数多くあって、サラリーマンをターゲットにした飲食店や「金券ショップ」などのお店もたくさんあることから、“サラリーマンの街”として有名だった。2010年代からは、“サラリーマンの街”のほかに、日本テレビの新社屋(日テレタワー)などがある街としても知られている。

*2:ちぃばす」という、都営バスの路線廃止などに伴う「交通過疎地」のカバー目的で、2004年10月から東京都港区内を走り回るバスのこと。

*3:監察医などの専門家によって、病気や事故で亡くなった人の死因などを解明する目的で行われる解剖のこと。日本の多くの病院では、病院の中で亡くなった人(または家族)を解剖しても良いかどうかを臨床医の人が、必ず遺族にたずねてくるという。なお、解剖をするかどうかを決める権利は亡くなった人(または家族)ではなく、遺族にある。

*4:「ヘッケルン」という、自家製のプリン(と店のマスター)が有名な店の事ではないかと思われる。

*5:病気の症状などが一時的であること。

*6:日本の場合。医療機関から請求される救急医療費の金額は、搬送された医療機関の種類によって決まるという。そのため、手ごろな金額で済むのか、ものすごく高額になるかは、救急車の隊員の判断力や采配によるらしい・・・。

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