洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第41話

第41話:父のこと、母のこと

今回は、第19話の中でカットさせていただいた、06/29/08(2008年6月29日)を可能な範囲で公開しようと思う。

co062c54.hateblo.jp

※進行の都合で、この第41話には挿し絵を載せていません。

06/29/08(2008年6月29日)
この日は休み。
朝から雨が降っている。

僕は、父が58歳のときに生まれた子供の一人だった。父は*1興行関係の企業に勤めていたで、母は秋田県で芸者をしていた人だった。
父はいわゆる*2雷おやじではなく、飄々とした人だったと思う。僕らをあまり怒らないし、よく僕らと遊んでくれたり、近所や身近にある植物の名前を教えてくれたりもした。僕らは、父のことが好きで、幼い頃は父にまとわりついていたのを覚えている。
母は、父とは対照的に僕らには厳しかった。でも、母の作る料理は美味しかった。特に、卵焼きや*3きりたんぽ鍋風の汁ものが好きだった。でも、たまに秋田県の知り合いの人から*4ハタハタが届くと、ハタハタの煮つけが食卓に上がっていた。子供の僕らには骨が多いのと、ハタハタの白子や*5“ぶりこ”の独特の食感が苦手だった・・・。

しかし、僕らが23歳の頃に大学の卒業証書授与式から帰ってくると、家の中で母と一緒に死んでいた。戦争などで親戚もいなかった僕らは、天涯孤独になってしまった。
いま思うと、父はヤクザ屋さんと関係のある人だったから、自分の子供が長い間いじめられ続けていたことに気が引けたのかもしれないし、自分の子供が親になる時代になっても、その子供の子が“ヤクザの孫”と言われ続けると思い込んで、生き続けることをやめようと判断し、その考えに賛同した母もついていったのかもしれない・・・。
後日、両親の葬儀中に父の知り合いだという、ある葬祭業者の社長だという人に「(東京)23区ではないが、うちで働かないか?」と声を掛けられる。そこが僕らの最初の会社勤めだった。僕らは3年くらい一緒だったが、僕のせいとアイツが(アイツの)彼女の故郷へ移住してしまったために、アイツとは疎遠になっている。

→つづく・・・。

参考資料
マカロニ「「ハタハタ」の特徴とおいしい食べ方◎おすすめレシピ3選も解説!」
https://macaro-ni.jp/64929

*1:日本の極道の人の副業の一種らしいと言われているが、本当のところはよく解らない・・・。

*2:「何かというと大声でどなりつける、口やかましいおやじ。(出典:小学館「デジタル大辞林」)」。平成時代までは日本中にいた。

*3:秋田県が発祥と言われている鍋料理の一種。本来は、鶏ダシの入った醤油味のスープに、鶏肉や「セリ」という香草と野菜のほかに、「たんぽ」というコメの加工品を焼いたものを食べやすい大きさに切ってから入れて煮込んで食べる。家や店によっては「たんぽ」の代用品として、「だまこ」という物を作って入れることもある。

*4:オホーツク海日本海の水深100から400メートルの砂泥地に生息する、全長約20cmのウロコのない深海魚。冬が産卵期。煮つけや干物のほかに、「しょっつる鍋」という汁ものにされて食べられていた。ちなみに2000年代以降、関東地方のスーパーの鮮魚売り場や干物売り場に不定期にハタハタが並んでいることがある。1960年代から1970年代までは秋田県で大量に水揚げされて、最盛期には15,000トンを超える漁獲量があった。しかし乱獲で漁獲量が減ったため、1992年9月から1995年8月まで全面禁漁になったことがある。その後の秋田県をふくむ日本海中の漁協などの資源保護の取り組みによって、日本海沿岸各地の漁場は往年の賑わいを取り戻しつつあるという。

*5:主に秋田県で使われる、ハタハタの卵の固まり(※多くは密集して固まっている。メスのハタハタのお腹の中に入っていることもあれば、冬の日本海の浜辺に打ち上げられている。ほぼ無味無臭だが、かみ砕くと独特の食感と粘り気がある。)を現す俗称。なお冬の日本海の浜辺に転がっている“ぶりこ”は、ハタハタの資源保護のために、県によっては拾うことが禁じられている。

TOP