洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

これをメイ曲と呼んではいけないのだろうか?→No.143歌う次元大介・その3

これは、私が過去にやっていたブログで適当にやっていた、私の「iTunes」の中に入っている曲の中で何回もリピートしてしまうものを紹介していた書き込みコーナーに、私が過去に好きだった曲や「なぜカバーする人がいない!」と心の中で日夜嘆く曲などを盛り込んで書いていくコーナーとして復活させてみたものです(^_^;

co062c54.hateblo.jp

 第143回は、寺尾 聰さんの「ルビーの指輪」です。この曲は2020年現在、1981年に発売されたアルバム『Reflections』と2006年に発売された企画盤『Re-Cool Reflections』と一部の音楽配信サービスで聞くことが出来ます。

 本日(27日)、NHK BS3で午後10時30分から放送される『The Covers Fes 2020』に、寺尾さんがゲスト出演し、「ルビーの指環」・「出航 SASURAI」・「HABANA EXPRESS」を披露されるとのことです。
2020年現在の“歌う次元大介”をテレビで聴けるチャンスです!news.ameba.jp

 ベタなチョイスです・・・(^_^;
この曲は寺尾さんの歌手としての出世作で、現在も様々な日本のミュージシャンがカバーしています。
ちなみに、この曲の歌詞は寺尾さんではなく、松本隆さんによるものです。

寺尾さんはレコード化する前に、当時所属していた石原プロモーションの社長・石原裕次郎さんや専務・小林正彦氏にこの曲の試作品のようなものを聴いてもらいますが、小林氏には「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と否定されたそうですが、石原さんには「いいんじゃないの」と好感触をもらい、レコード化が決定しました。

発売当初はさほど売れていませんでしたが、発売から約1ヶ月経った後から徐々に売上を伸ばしていき、同年の3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得。そして、当時の東京の民放テレビで放送されていた数々のランキング形式の音楽番組で、10週連続1位”や“12週連続1位”という記録をたたき出し、1981年12月時点でのシングルの売上枚数は160万枚になったそうです。
この曲のヒットの影響により、1980年から1981年の間に発売してもあまり売れていなかった寺尾さんのほかの曲のシングル(「SHADOW CITY」、「出航 SASURAI」など。)も相乗効果でヒットし、その後、アルバム『Reflections』がリリースされました。

その後、寺尾さんは1981年12月31日に開催された「第23回日本レコード大賞」の大賞と作曲賞を受賞。また、作詞の松本隆さんは同賞の作詞賞、編曲者の井上鑑氏は編曲賞を受賞し、。更に寺尾は同日に放送された*1『第32回NHK紅白歌合戦』に初出場しました。

なお、これは余談ですが、この「ルビーの指環」がヒットした後、東京・溜池山王に建てられた、東芝EMI(現・株式会社EMIミュージック・ジャパン)の本社ビル(現在は移転しています。)は、「ルビーの指輪」の売り上げで建築されたらしいという噂があったことから、当時の業界人の間で「寺尾ビル」と呼ばれていたそうです・・・(^_^;

私にとって、「ルビーの指環」は子守歌の1つでしたね(*^_^*)
母曰く、小さい頃はこの曲がテレビで流れると踊っていたらしいです。

 


寺尾聰 ルビーの指環

“現時点では良い「ルビーの指輪」カバー”代表として、福山雅治さんによるカバーをご覧ください。
福山雅治 ルビーの指環

 

ルビーの指環

ルビーの指環

  • 発売日: 2016/10/05
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
Re-Cool Reflections

Re-Cool Reflections

  • アーティスト:寺尾聰
  • 発売日: 2006/12/20
  • メディア: CD
 

*1:ちなみに寺尾さんは、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』にも出場していて、ここでも「ルビーの指環」を披露しています。

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