洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

これをメイ曲と呼んではいけないのだろうか?→No.230ライディーンや胸キュンだけじゃない件・その15

これは、私が過去にやっていたブログで適当にやっていた、私の「iTunes」の中に入っている曲の中で何回もリピートしてしまうものを紹介していた書き込みコーナーに、私が過去に好きだった曲や「なぜカバーする人がいない!」と心の中で日夜嘆く曲などを盛り込んで書いていくコーナーとして復活させてみたものです(^_^;

co062c54.hateblo.jp

この企画では、YMOの大ヒット曲の1つである「ライディーン」は取り上げないと決めていました。ですが、やむを得ない事情で今回はこの曲を取り上げます。
その事情とは、この曲の創造主・高橋幸宏さんが1月に他界されたからです。
co062c54.hateblo.jpwww.dailyshincho.jp

・・・というわけで、第230回はYMOの「ライディーンRydeen)」です。
現在は、1980年発売&2018年に再発されたアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイバー』と一部の音楽配信サービスで聞けます。

今から約2年前に、このブログでも一度取り上げましたが、改めて取り上げます!
co062c54.hateblo.jpこの曲は、1980年に発売したYMOの2枚めのシングル曲であり、YMOの大ヒット曲の1つです。高橋幸宏さんが作曲したものです。
ちなみにもう1つの大ヒット曲は、1枚目のシングル曲*1の「テクノポリス」です。
テクノ好きの間だけの人気者だったはずのYMOが、この曲がキッカケで人気が急騰し、YMOの曲の人気とメンバーの存在が、1980年の日本で社会現象となりました。

artsandculture.google.commerurido.jpこの曲のメロディは、昔からYMOのファンや一部の音楽好きの中では、都内のあるバーで幸宏さんが鼻歌で歌っていたものを、一緒に飲んでいた坂本龍一教授がメモに書き起こしたものを基に作られたとも言われています。
ところが、2012年に幸宏さんが書いた『心に訊く音楽、心に効く音楽 私的名曲ガイドブック』という本の中で、この伝説の前の話が明かされていました。
その本によると・・・
「映画『スター・ウォーズ』を黒澤明監督が撮ったらどうなるか、というのが、(「ライディーンの」)発想の起点だった。その為、*2(曲の)途中で戦闘ゲームや時代劇風の馬が走る音が入る。」。


無機的な表現とするためにあえて抑制した作り方の「テクノポリス」に対し、この曲は逆に盛り上がるように作られていました。
そのせいもあったからなのか、後に細野晴臣さんは「遊びながら、当時の自分達では作れるとは思っていなかったサウンドができ、(「ライディーン」のレコーディングは、)非常に楽しいレコーディングだった。」と回想していたそうです。ja.wikipedia.orgこの曲のタイトルは、初めは江戸後期の伝説の力士「雷電為右衛門(らいでんためえもん)」から取って、「雷電(らいでん)」と表記されていました。
「“雷電”には東海道五十三次のような浮世絵のイメージがあり、浮世絵が世界に影響を与えたように、自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた。」と、後に坂本教授が発言していました。
この曲の製作中の場で、細野さんが「アメリカで今『勇者ライディーン』っていうアニメがヒットしている」という話を聴いた幸宏さんが「じゃあ、(“雷電”を)“ライディーン”にしちゃおう」という閃きで、「雷電」は「ライディーン」という曲名に変わったそうです。

話を初めの辺りに書いていた「都内のあるバーで幸宏さんが鼻歌で歌っていたものを、一緒に飲んでいた坂本龍一教授がメモに書き起こしたものを基に作られたとも言われていますが」という所に戻します。
どうして戻したのかというと、実は2011年の上半期にツイッターの中で、この「ライディーン」誕生のキッカケ話についての論争が起こっていたからです。

坂本教授は自身のツイッターの中で・・・
ライディーンは、(たぶん、1枚目のシングル曲の「テクノポリス」のこと。)録音が終わったある夜、幸宏と西麻布の裏のバーに飲みに行き、幸宏が鼻歌で歌ったものを、ぼくが紙ナプキンに書き取り“明日、これ録音しよう!”と盛り上がったのでした。そのバーはもうとっくになくなり、名前も覚えていません。」
と、つぶやいていました。

ところが、幸宏さんが自身のツイッターの中で・・・
ライディーンはいつも教授がそう言うんだけれど、アルファ(レコード)のスタジオであそこのピアノに向かって初め、Am,Fmaj7っていうキーで考えた記憶があるんだよね。教授が書きとめてくれたのは、(「ライディーン」ではなく、)中国女じゃない?か、ライディーンのBの部分じゃなかった?バーは、(西麻布ではなく、)青山です。」
と、坂本教授のつぶやきに対する反論のようなつぶやきをしています。

更に、YMOの初代マネージャーだった日笠雅水氏も自身のツイッターで・・・
ライディーンは高橋(=幸宏さん。)がお家でキーボードで作ってスタジオに持ってきました。アレンジしたあと“こんな普通の曲を僕が手を入れるとこんなふうになる”と少し自慢なさいました」
と明かしています。

これらのつぶやきを観ていると、“「ライディーン」は幸宏さんが鼻歌で歌っていたものを坂本教授がメモに書き起こしたものを基に作られた”という伝説の信用性が揺らいできました・・・(-_-;
最新の「ライディーン」誕生秘話は、以下のページをご覧ください(^_^)
www.huffingtonpost.jp


ライディーン」のPV。
今年1月のテレビの情報番組でよく見かけた動画です(^_^)
ちなみに、このPVの“お三方”の衣装は幸宏さんがデザインしたものです。

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1980年の『YMOワールドツアー'80』東京公演での「ライディーン」。
ちなみに、このツアーのシャツの柄のデザインとコーディネートは、幸宏さんの手によるものです。特に、この時着ていたシャツは「YMOシャツ」と呼ばれ、1980年当時の日本のYMO好きの人の間で人気爆発したらしいです。

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1983年12月の“散開”ツアーでの「ライディーン」。
曲の途中に合いの手のような掛け声が入っていますが、現時点で「ライディーン」の演奏中にこのようなパフォーマンスを行ったのは、この時だけのようです。
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2007年に放送されていた、某ビールのTVコマーシャル。
主演はYMOのお三方。この頃に、YMOが再結成&活動再開をしました。
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上のTVコマーシャルの中でも鳴っていた「ライディーン」のセルフカバー・「Rydeen 79/07」。
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この曲の人気の高さは、次の動画たちを観ると更に解ります。

現在tvkテレビ神奈川)で放送中の番組『ソクドノオンガク』でお馴染みのH ZETTRIOによる「ライディーン」。早い!早すぎる!(^_^)

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2014年の日本には、このような「ライディーン」もありました・・・(^_^;

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高校野球プロ野球では、推しているチームの攻撃中に何らかのチャンスが来たことに気付くと、ファンや応援団がグラウンドに向かって「チャンテ」を演奏・合唱するというお約束のようなものがあるそうです。

近年の高校野球(特に私立高)では、チャンテに「ライディーン」を演奏するところが多いらしいです。

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このほかにも、読売ジャイアンツの試合では、広島と九州にあるジャイアンツ応援団とジャイアンツファンだけが、チャンテの1つとして「ライディーン」が演奏・合唱されていることがあるそうです。

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改めて、高橋幸宏さんへの感謝とご冥福をお祈りいたします(-∧-)

オマケ1
今月放送されたNHKによるユキヒロさんの追悼番組の中でも取り上げられた、1982年3月に放送された東京のネタ番組THE MANZAI』の中で披露された、YMOのお三方による音楽抜きのパフォーマンスの一部。
分かる人にしかわからないモノマネを連発しています・・・(^_^;;

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オマケ2
2010年に放送された、YMOのお三方主演の某お菓子のキャンペーンのTVコマーシャル。このコマーシャルの曲は「ライディーン」でした。
このキャンペーンがあった当時。
都市部の鉄道を走っていた、このキャンペーンの広告だらけの列車内の様子を無断撮影した動画を動画投稿サイト内にアップする人や、このキャンペーンの中づり広告やポスターの盗難する人が多発したそうです・・・。

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オマケ3
1988年に発売された、伝説のインディーズ系ユニット・空手バカボンによる「ライディーン」の“オマージュ(?)”曲「来るべき世界」。
歌詞(?)は1980年代のYMOブームの事を知っている人ならピンとくるワードが連発しています(^_^;;

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RYDEEN 79/07

*1:近日中に掲載予定。

*2:たぶん、イントロと曲の途中まで聞こえる「チッチキ、チッチキ・・・」という音のこと。ヘッドホンやイヤホンで聴くと、よく聞こえます。

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