洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

【坂本龍一】“2度目の復活”を希望!!

どうも。
今回は「わたしの推し」というお題が出ていますので、坂本龍一教授(以下、教授)について書きます。
ですが、今回は教授の曲の事については書きません。教授の曲については、動画サイトか私のブログの中から探し出してください(^_^)

今回は曲以外で私が教授を推す理由を書こうと思います。
そのため、いつもよりヲタ臭キツめの*1ブヒブヒ でお送りします(☆_☆)

seikatsu-hyakka.com

私が教授の事を知ったのは、*2子猫物語』や*3ラストエンペラー』です。
教授の事は知っていましたが、その頃は大して興味がありませんでした。

YMO時代の教授

©2021 Ryoichi Satomiya

 

しかし、*41993年の“再生”YMOの記者会見とライブをテレビで観た事がキッカケで、教授の曲や演奏スタイル。そして、まるで世間を睨みつけるような黒目がちな眼差しと、ライブなどで時々見せる屈託のない笑顔に一目ぼれしてしまいました(^_^;
以降、教授の過去の曲や写真などを探したり、*5今は亡き個人情報公開雑誌で出会った教授ファンの方と交流したこともありました・・・。

戦場のメリークリスマスといえば

©2021 Ryoichi Satomiya

当初は教授のイラストを描こうとは思っていませんでした。
私が教授を描いてみようと思ったキッカケは、教授とYMO関連の資料探しで神田神保町へ出かけていた時に入ったある音楽系専門古書店に置いてあった音楽雑誌に、シマあつこ(旧・志摩あつこ)氏の『8ビートギャグ』という、実在した1970年代から1980年代に活躍した国内外のミュージシャンが登場するコメディー漫画の中で描かれていた教授を見た事でした。これがキッカケで、*6映画『戦場のメリークリスマス』を観たり、クイーンの曲を聴くようにもなりました。

dot.asahi.com

1970年代から2000年代までの月刊のコミック誌やホビー誌の多くには、有名人やアニメキャラの似顔絵(現代で言うところの「ファンアート」みたいなもの。)を投稿するページが設けられていました。
そのせいもあったのか、1980年代前半に発行された中高生向けの雑誌や一部の音楽専門誌では、なぜか雑誌編集者やプロの漫画家による、YMOの“お三方”の似顔絵教室のようなものを掲載しているものがありました。おかげで、私も1980年代のYMOの“お三方”の似顔絵を描けるようになりました(^_^)
その後、*7同人誌を作ったりしましたし、もっと画力を上げたくて某美術系の通信教育も受けたこともありました。うつ病デビューしましたけど(-_-|;|

私の画力は今も小学生のままですが、教授との出会いによって、私の視野とストライクゾーンは広がりました。
もしも教授と出会っていなかったら、しょっちゅう報道番組とアニメを観ないと生きていけない体質にもなっていなかったし、学芸員資格の取得もしなかったし(私の人生の中ではこの資格は全然役に立っていません。自動車の免許を取れば良かったです・・・(^_^;)、コンサートや美術展のために都内にも出歩かなかったですし(ある意味“書を捨てよ町へ出よう”みたいな・・・。)、自分の本当のセクシャルに気付くことも無かったです(^_^;

もう一人の自分?

©2021 Ryoichi Satomiya

ちなみに、2002年の教授のデビュー20年記念の時にファンへ配布されていた資料を観た限りでは、*81980年代の日本の青年漫画の中には教授を基にしたと思われるキャラクターが登場する作品が数多くあった事を知りました。
ほかにも、*9アンディ・ウォーホルが制作した有名人ポートレートの中にも教授の姿はありました。
教授の存在は、1980年代の国内外の音楽業界のほかにも影響を与えていたことがよく解りました(^_^;

しかし、(あまり良い言い方ではありませんが、)1990年代以降の教授は心身的にメリカナイズされてしまった影響もあるのか、まるで別人のようなお姿になっていて、日本以外の国での活躍が多くなってしまい、SNS英語圏の人向けのものしか更新されていません。そのせいもあってか、教授は私にとって、近寄りがたい存在になってしまいました・・・(-_-;;;

教授は2014年に一度がん治療のために活動を休止しましたが、その後の2015年に復帰されました。
しかし、2021年に別のがんが見つかったために、現在も治療のために活動を休止しています。この活動休止は今も続いています・・・。
日本では、この2021年の活動休止を機にファンを卒業される方が急増しているのと、ネットの海では教授の死亡説も流れて続けています。更に、教授の事を全然知らない日本人が年々増えてきているので、日本のリアルの中で教授ファンだと公言しづらいです・・・OTL

近年はネットの動画サイトや無観客ライブの配信や日本のある企業のテレビコマーシャルの中で教授の楽曲が流れていることがありますが、個人的にはまた教授のお姿を肉眼で確認したいものです。
坂本龍一教授の“2度目の復活”が実現することをお祈りいたします・・・(T人T)


特別お題「わたしの推し

*1:今回だけ、本来の意味とは異なった意味で使っています。本当は「アニメやマンガの女の子キャラを愛でる」という意味のヲタ(オタク)用語です。

*2:1986年の日本の実写映画で、内容は母親とはぐれた1匹の子猫の冒険物語。監督・脚本は“ムツゴロウ”こと畑 正憲氏。この映画で坂本は、音楽担当としてテーマ曲と劇伴を作曲した。

*3:1987年公開のイタリア・中国・イギリス・フランス・アメリカ合衆国の合作による映画。清朝最後の皇帝の生涯を描いた作品。この映画で坂本は、音楽担当としてテーマ曲と一部の劇伴を作曲したほかに、日本軍の軍人・甘粕正彦役で出演している。

*4:1980年代からのYMOファンが、1983年12月に解散したYMOの再結成プロジェクトで使われていたロゴ(この当時、YMOのメンバーは権利上の関係で“YMO”という呼称もロゴも使えなかったため、YMOの文字の上に×を書いたようなものを作って活動していた。)を観て使っていた呼称。

*5:その時出会った人の一人で、最近までお付き合いのあった人は2016年に亡くなりました。

*6:1983年公開の日本・イギリス・オーストラリア・ニュージーランドの合作映画。ローレンス・ヴァン・デル・ポスト氏の自身のインドネシアのジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験を描いた本の内容の一部を映画化したもの。第二次世界大戦をテーマにした戦争映画でありながら、戦闘シーンは一切登場せず、メインキャラはすべて男性という異色の映画だった。この映画で坂本は日本軍の軍人・ヨノイ役で出演したほかに、音楽担当としてテーマ曲との劇伴を作曲している。この映画のテーマ曲は坂本の代表曲として、現在も世界中で聴き続けられているという。

*7:10年やっても、1冊も売れなかったです・・・。

*8:現時点でも観ることが出来るのは、とり・みき江口寿史の作品だけ・・・。

*9:この教授のポートレートは色んなパターンが存在していて、その一部は日本の某メガネブランドの社長や、教授が持っているという(2017年に公開された教授のドキュメンタリー映画Ryuichi Sakamoto: CODA』で確認済み。)。

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