洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第22話

第22話:殴るのは僕だけにしてほしい、“彼”の願望とパートナーの困惑

  彼の遺品のUSBフラッシュメモリ内「2008」フォルダから「200807」より。ブログ掲載の都合上、多少の自主規制あり。

07/26/08(2008年7月26日)
今日は、僕にとっては最後の夜勤。空は曇っているが、昨日と比べて涼しい。
この日が休みのパートナーと朝食をとる。

午前10時過ぎに僕のパートナーを連れて、電車に乗って病院へ行く。今日は治療ではなく、担当医がパートナーに何か言いたいことがあるようだ。

2008年7月26日の彼・その1

©2021 Ryoichi Satomiya

午前11時30分過ぎ。
担当医が直々に外来の待合席の中にいる僕らの方へ来て、病院の面談室へと移動する。
面談室の前に来ると、なぜか僕だけ外で待つように言われる。担当医とパートナーだけが面談室に入っていった。
それから40分くらいして、僕も(面談室へ)入るように言われた。面談室の中で観たパートナーは、いつもよりも元気が無い。担当医によると、パートナーには僕の病状の事を伝えたというのだが、パートナーの意気消沈っぷりを観ていると、それだけではない気がしてならないし、今日ほど担当医のことが心底嫌いになったことはない。いくら仕事だからって、パートナーに僕の本当の病気と状況を暴露するな。あの人、打たれ弱いんだから・・・。

担当医との面談が終わった後。
病院から「面談料」というお布施を取られた僕とパートナーは病院を後にする。病院の正面口から離れると、この時のパートナーの精神的負荷のことが気になったため、家までそう遠い距離ではないが、徒歩ではなくタクシーを捕まえて帰ろうとした。だが、この時の病院のタクシー乗り場にはタクシーの気配が無い・・・。
仕方ないので、病院の敷地内に乗り入れて来るバスを待って帰ることにした。

2008年7月26日の彼・その2

©2021 Ryoichi Satomiya

立川駅南口行きのバスを待つ間。
僕の横で、パートナーが被っていた帽子を脱いでグシャグシャにしているのを観た。僕はパートナーに何かしてほしいかと尋ねると、「〇〇(“彼”の名前。)さんとあの医者を殴りたい」と、力のない声でパートナーは言った。その気持ちは分からないでもないが、さすがに担当医を殴らせるわけにはいかない。殴るのは僕だけにしてほしい・・・。少しすると、パートナーは何も言うことなく僕に強く抱き着いた。

夜勤中。
僕のデスク周りの物を少し片付けたり、この日持ち出す物を入れるために家から持ってきたトートバッグを広げたり、会社から渡された段ボール箱に自分の物と会社に返す物とを仕分けていた。
途中、TくんとEくんの研修もした。Eくんは*1薬局で売っているカフェイン薬や缶コーヒーを飲んで夜勤を乗り切るという作戦をしているのだという。「今はいいけど、身体を壊すから、ほかの方法を考えなさい」とEくんに注意した。

07/27/08(2008年7月27日)
今日は休み。朝から曇っているが暑い・・・。
パートナーと朝食をとる。朝食中に見たテレビのニュースで、昨日で関東地方の梅雨が開けたということを知る。

昼過ぎ。
家の近くにある銀行のATMへ行って、通帳を記帳する。記帳が終わるとATMを出て、ATMの側にあるハンバーガーショップへ行って、ストロベリー味のシェイクを吸いながら通帳を確認する。
6月分の給料が振り込まれていたほかに、保険会社から保険金も振り込まれていた。保険金がもらえたのは嬉しいが、来週以降に予定されている放射線治療にたくさん取られて、あまり残らないだろうな・・・。
シェイクが無くなると、ハンバーガーショップを出て、(立川駅)北口にある銀行へ行った。

2008年7月27日の彼

©2021 Ryoichi Satomiya

夜。
パートナーと麦茶を飲みながら、今後の僕のことの話をする。
僕はパートナーに向かって、次のような事を言った。
「昨日病院の医者にも聞かされたと思うけど、*2僕はすい臓癌で医者から*3ホスピス行きを進められているんだ。でも、もし僕がホスピスへ入ったら*4ホスピスの規則で、僕は○○(パートナーの名前。)さんとは二度と会えなくなると思う。日本の法律が変われば、○○さんがお見舞いに来れるようになるかもしれないけれど、いまの僕は日本の法律が変わる日までは(身体が)持たないと思う。自分だけの人生なのに、これ以上治療に余生もお金も取られ続けて、“いま治療すれば治るし、幸せな人生を送ることが出来ます”なんて気休めな言葉で自分を縛り付けたくないし、自分の残り時間を自分のためにも、○○さんのためにも使えないまま、*5犬死したくもない。それに、*6父に子供が出来た年齢(トシ)まで生きていたくもない・・・。」
僕が発言する度に、パートナーはまるで針が飛んだレコード盤か読み込みエラーがひどいCDかDVDのように「どうして、そんなこと言うの?」と言うのを繰り返し続けている。
だが、僕が「だから、僕はこれ以上治療を続けるのはやめて、還暦になる前に自分で幕を引こうと思う」と言った直後、パートナーから、喧嘩慣れしていない人間ならではの、ただひたすらに痛いビンタを一発くらう。僕はしばらく何も言葉を発することが出来なくなった・・・。
パートナーは僕にビンタをした後、何も言うことなく、自分の部屋へ戻ってしまった。少しすると、パートナーの部屋から泣いているような声が聴こえ出した。
僕は明日の仕事のために、冷凍庫から保冷剤の小袋を1つ持ってきて、タオルハンカチで包むと、黙ってパートナーに叩かれて痛む頬を冷やす。

しばらくするとパートナーの部屋が静かになった。僕はそっと部屋を覗き見ると、パートナーは泣き疲れたのか、部屋の明かりをつけたまま、布団の上で眠り込んでいた・・・。

07/28/08(2008年7月28日)
今日は日勤。
今日は朝から曇っているが、相変わらず外は暑い・・・。
この日、パートナーは家で朝食をとることなく、僕よりも早く家を出て行ったようだ。
洗面台の鏡で顔を観ると、昨日パートナーにビンタされた頬には小さなアザが出来ている。

午前中。
出勤早々オフィスにいる人たちから、顔のバンソウコウのことをやたらと訊かれた。アザを隠すために貼ったバンソウコウのはずが、かえって目立ってしまった・・・。訊かれる度に「顔を剃っている時にチョット切っちゃって・・・」と言い訳をした。

午後。
勉強会で使うために借りていた資料を返しに行った帰り。
面会室のドア越しに大きな話し声が漏れ聞こえる。そこに偶然通りかかった社員(社長の娘)が言うには、社長の友達の人で立川駅南口の周辺で2軒コンビニを経営している女性が来ているのだという。

2008年7月28日の彼

©2021 Ryoichi Satomiya

オフィスでデスクワーク中。
どこかで聴いたことのある声が耳に入ってくる。声がした方を向くと、社長と社長の友達のコンビニ経営者の姿だった。オフィスの見物にでも来たのだろうか?話し声が大きかった・・・。
少しして、上司に肩を軽く叩かれると、「社長のお客様が〇〇(“彼”の名前。)さんのことを呼んでいるから、ちょっと来て」と言う。
その人は「あら。あんた*7イケメンねぇ。若い時は結構モテたでしょ?」と言われるが、僕は否定した。「これから、毎日イケメンに会いに来ようかしら」と言い出すが、上司がそのコンビニ経営者に「この人、(7月)31日で辞めるんです」と言った。
「あらぁ!?それならアタシの店で働かない?先週アタシがやっている場外馬券売り場の近くのお店で、(場外)馬券売り場の客がバイトの女の子にセクハラしたせいで、バイトの女の子たちが辞めちゃって人手不足なのよ。それに、家に引きこもっていたら一気に老け込んじゃうわよぉ。お家どこ?」などと、とにかく勧誘されまくった・・・。
こうして僕は、コンビニ経営者がオーナーをしているコンビニの1つに、早朝と日勤・週3日のシフト制で雇われることになった。このところの*8(国民)健康保険がきかない治療のせいで金欠気味なので、今後の治療費用を少しは賄えるかと思った。
上司と僕は、社長とコンビニ経営者がオフィスから出るの確認すると、上司から「〇〇さん。この時世にツイてますねぇ」と言われた・・・。

07/29/08(2008年7月29日)
今日は日勤。今日は朝から曇っているが、相変わらず外は暑い・・・。
パートナーと朝食をとる。
洗面台の鏡で顔を観ると、毎日のように山のような量の薬を飲んでいるせいもあるのか、昨日よりアザが目立たなくなったように感じたので、バンソウコウを貼らないで行くことにした・・・。

午前中はオフィスワーク。
立川市内から、熱中症で亡くなった人の葬儀の依頼の電話が複数あったが、すべて無宗教の火葬式だった。こういう依頼を聴く度に、「今どきの日本人は信仰心が薄い」と言われている理由が分かったような気になる。失業しないといいけど、お坊さん・・・。

午後。
TくんとEくんに、夜勤中の対応の仕方のチェックをしてほしいと頼まれる。僕は、ゼリータイプの栄養食を飲みながら彼らに指導をするが、Tくんは指導を受ける事に、Eくんはメモを取ることに徹していていることに気付いた。途中、Eくんのメモの書き方に少し口を出す・・・。

夜。
パートナーから「来月の9日に、(東京都の)渋谷で“プライドパレード”っていう、同性愛の人たちのお祭りみたいなのがあるんですけど、もし良かったら・・・一緒に行ってみませんか?」と誘われる。
パートナーと一緒にパソコンで、ネット上にある*9「東京プライドパレード」に関するページや写真を観た。このイベントなら、僕もパートナーも気を張らないでいられるような気がしたので、僕は「行ってみたいな。予定を確認しなきゃ」とパートナーに言う。パートナーになぜ予定の確認するのかと訊かれて、僕は「来月から、この近所でバイトすることが決まった」と答えた途端、パートナーから「バカ!また倒れたらどないしはるんです!」と怒られた。*10関西の人も「バカ」っていう事があるのか・・・。

→つづく・・・。


参考資料

ビジネスジャーナル「搾取される貧困「お坊さん」が激増…お寺「不要化」で都市に出稼ぎで日雇い労働者化」
https://biz-journal.jp/2017/05/post_18963.html
けいこぶ.com「大阪人にバカと言ってはいけない【タブー】【アホとの違い】」
https://keicob.com/osaka-baka-aho-taboo/

9月7日の午前1:00から午前3:00(予定)まで行われる『はてなブログ』側のメンテナンスの都合で、『ある山下テツローの場合』の毎週火曜日更新が遅延する可能性があります。何卒ご了承いただければ幸いです。

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*1:現在も、薬局やドラッグストアで「エスタロン・モカ」という名前で販売されている無水カフェインが主成分の飲み薬のこと。ねむけと倦怠感の除去効果があるという。

*2:“彼”のがんの状態については、第18話を参照。

*3:主に、死が迫っている患者とその家族の苦痛を最小限にすることを主な目的とする療法やプログラムの総称。なお近年の日本では「ホスピス」より、「終末医療」や「緩和ケア」という言葉を使う人のほうが多いという。

*4:2000年代以降の日本中にある多くのホスピスは、特例が無い限り、2000年代以降の病院と同様に法的な家族でないと入院患者へ面会を許可しないところが多いという。

*5:「いぬじに」と読む。何の役にも立たないし、名誉にもならない死に方という意味の日本語。

*6:この事については、2008年9月に入るまでお待ちいただきたい。

*7:「魅力的な人、特に面貌が魅力的な人」を指す日本の俗語。一説には、2000年代から使われ出したらしい。

*8:ここでは、放射線治療のこと。

*9:1994年に、東京でレズビアンやゲイの権利を訴える目的のパレードが行われたことから始まり、2005年に設立された「東京プライド(※2013年に解散。)」という団体によって、『TLGP 2005』、『TLGP 2006』、『東京プライドパレード』という名称のパレードが、東京都渋谷区で2010年まで開催されていた。ちなみに、2012年から現在にかけて、東京都渋谷区とネット上で開催されているLGBTQのためのパレードは、東京プライドから枝分かれした別のLGBT団体による『東京レインボープライド』というパレードである。

*10:関西の人が言う「アホ」はちょっと友好的なニュアンスで言っていることが多いそうだが、「バカ」と言った場合は関西以外の地域と同様に悪い意味で言っているという。ちなみに、大阪府の人に「バカ」と言うのは、欧米から来た人に向かって中指を立てる並みに危険行為なのだという・・・。