洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第28話

第28話:From SAT/彼からの依頼・その3

洋の東西を問わず、ほとんどの人は、「自分からすすんで死んでいく人」の話に接するとき、「そんな人は頭がどこかおかしいか、なんらかの心の病であるのではないか?」と感じてしまう傾向がある。
しかし、武士の切腹に関する話に接するときには、普通はそうは考えないものである。
とは言っても、現代人の誰かが切腹をすれば、ほとんどの日本人はやはり「何かおかしい。なんらかの特別の事情か、あるいは精神の異常があるにちがいない」と思ってしまうようである。
人間はそんなに変わっていないはずだから、武士が正常な精神で死を受け入れていたのなら、現代人にもそれは可能であると考えてもよさそうなものだが、現実はそうではない。それほど、我々の偏見は強いのである。

出典元:『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』須原一秀・著。2008年。双葉社。「新葉隠 死の積極的受容と消極的受容 1章 三島由紀夫伊丹十三ソクラテス、それぞれの不可解」p.39~p.40
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ブログ掲載の都合上、一部自主規制あり。

私は彼と立川駅北口のとある喫茶店の中にいる。
3分ほど後、沈黙の森からどうにか抜けだした彼は私に向かって、突然こう言った。
彼「・・・すいませんでした。」
敏宮「・・・いえ。」
彼「僕がさっき、なぜ来年死ぬと言ったのかというと・・・*1いま僕の身体は、いわゆる“不治の病”になっていて、今の医学では治らないと医師から言われていて、いつ死ぬか分からないまま、毎日気休めの薬を飲んで日々を送っています。」
敏宮「・・・そうなんですか。」
彼「でも、このまま自分の身体の自由が利かなくなる時が来るのを待ちながら、生き続ける事に、僕はずっと嫌気を感じています・・・。」
敏宮「はい・・・。」
彼「だから、まだ僕が僕である内に、自分の手でピリオドを打つことにしたんです。」
敏宮「・・・その、ピリオドを打とうとしているのはいつですか?」
彼「それはまだ言えません。でも、今ではないです・・・。」
敏宮「・・・そうですか。」
この時の私は、“彼はまだ何かを隠している”というのに気づいてはいた。だが、私はどこかの芸能リポーターや週刊誌の記者のようにズケズケとは聞かないようにしている。過去に、ある東京都で開催されていた同人誌即売会の取材で、どこかの芸能リポーターや週刊誌の記者のようなやり方をして、サークル参加者の逆鱗に触れてしまい、即売会の会場の裏に連れてかれて、サークル参加者の売り子たちから痛い目に遭わされたことがあるからだ・・・。

2008年8月21日・その6

©2020,2021 Ryoichi Satomiya

そして彼は、唐突に私に向かってこう言ってきた。
彼「僕は来年死にます。そこで、あなたにお願いがあります。僕が死ぬ前まででも構わないので、僕と付き合ってくれませんか?」
敏宮「はい?」
この時の私は、ほぼ初対面に近い中年男性に突然“つき合ってくれ”と言われたことに、まるで予想外の土砂降り雨と轟雷をになり、何も言えない心境になった。私の人生の中では、突然“つき合ってくれ”と言われる経験が皆無だったので、私には何も言えないし、何も出来なかった・・・。
彼「お願いです!ば、バカなこと言っているかもしれないけど、いま僕の話し相手になってくれそうなのは、あなたしかいないんです!」
敏宮「・・・。」
彼「そして、どのような形でも良いので、あなたが生きている内に、僕と付き合って得た物事を発表してもらえませんか?」
敏宮「・・・。」
放心状態になっている私のことなど気にせずに、彼の私に対する“口撃”は続いた。
途中、彼の“口撃”に嫌気がさして、私は再び席を立とうとすると、それに気づいた彼は再び席を立とうとする私を引き留めようとする。彼は私に自分の取材をさせようと必死だ・・・。

彼の私への説得は20分ほど続いたが、この時の私は思考停止していた時間があったのだろう。彼の“口撃”の内容の多くは、私の頭の中に記憶が残っていない・・・。
ただ、「あなたのためになると思うから」という一言の応酬があったのだけは覚えている。
こうして私は、彼からの言葉の応酬を受けた私は、渋々、彼に付き合うことになったのだった・・・。
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2008年8月21日・その7

©2020,2021 Ryoichi Satomiya

茶店の中に長時間いるような気がする。
彼はクリームソーダに、私は喫茶店の冷房で、お互い心身的に限界に達しようとしていた・・・。
すると、彼が口を開いた。
彼「このあと・・・何か予定とかありますか?」
敏宮「いえ。今日のためにバイトとか休んでますから。」
彼「僕も、今日はバイト休んでいます。あの、もしよかったら・・・コレしませんか?あなたのブログに書いてあったのを観たので・・・。どうですかね?」
彼は、右手で何かをつかんで左右に捻るような動作をする。それを見た私は、すぐに意味が解った。
敏宮「パチンコですか・・・。ゲーセンの?」
彼「出来れば、(パチンコ)ホールのほうで・・・。」
こうして彼と私はその場を後にし、そのまま歩道にある駅舎と駅ビルに繋がるエスカレーターに乗って、立川駅南口のほうに向かって歩いた。

立川駅南口のほうに行くと、複数のデパートと大小の様々なビルと人混みばかりと路線バスで騒々しい北口とは違い、*2目の前には人混みと、建てられてそう時間が経ってなさそうな大小の様々なビルと、様々なパチンコホールの客取り合戦が繰り広げられているという、異様な光景が視界に入る。彼と私は話し合いの上、交番の近くにあるパチンコホールで打とうということになった。このパチンコを打ちに行くことをきっかけに、私と彼は互いの名前を改めて名乗った。

2008年8月21日・その8

©2020,2021 Ryoichi Satomiya

そして私は、この遊戯中に「もしも彼のことを何らかの形で発表するときは、彼のことは “山下テツロー”と呼称しよう」と心の中で決めたのだった。
なぜなら、パチンコを打っているときの彼の顔は、(彼にも、山下達郎さんにも失礼かもしれないが、)なんだか、*3とり・みき氏が描く山下達郎さんみたいな顔になっていたのを覚えている・・・。
そして3時間半ほど打ち、立川駅の改札で私は彼と別れた。
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その日の晩、私は彼のケータイに次のようなことを送信した。

「今日はどうも。
○○(彼の本名。)さん、*4エヴァ出していましたね。でも、*5甘いスペックだったから、*6ドル箱を満タンにするまで時間掛かりましたね(-_-;)」

それから1時間後。彼からメールが届いた。
「僕は確か(ドル箱)2箱半ぐらいだったような・・・。まったく15ラウンド(昇格)がなかったから、ドル箱1つを満たすまでに結構時間が掛かったので、なんか疲れちゃいました。でもあなた、15ラウンド連発してたじゃないですか!!」
どうも、彼は少々ご機嫌斜めのようだ。・ていうか、そもそもパチンコへ行こうと私を誘ったのはあなただろう・・・。
確かに、このとき私は通常当たり1回と5回ほどの15ラウンド昇格があったので、満杯のドル箱を5箱獲得した。しかしそれ以降、私が打っていた台は大人しくなってしまい、結局私の手元には大当り出玉・1箱弱しか残らなかった・・・。
そして、彼からのそのメールの結びには、次のようなことが書かれていた。
「くれぐれも、僕が言うお葬式関係の事を書く時は、絶対にお涙ちょうだいにならないようにしてくださいね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」

→つづく。

*1:この時の私は、まだ“彼”が病気だという事も病名もまったく知らなかった。私が“彼”の本当の病名や病状を知ることになるのは、この日からもうしばらく後の事である。

*2:これは2008年当時の話である。現在の立川駅南口周辺とは多少異なっている。

*3:「とりなかぐろみき」と読む。1979年から活動している日本の漫画家。『愛のさかあがり』、『遠くへいきたい』などの幅広いスタイルの作品を発表していて、2001年には劇場用アニメ『WXIII 機動警察パトレイバー』の脚本を執筆している。1980年代に作品中でシンガーソングライター・山下達郎のファンであることを、公言し続けていたことがキッカケで、1991年に山下のコンサートツアーのパンフに載せる短編マンガの依頼を受ける。以降、山下のファンクラブ会報の表紙イラストに携わり続けていて、2010年代にはシングルCDとベスト盤のジャケットイラストのほかに、劇場用アニメ『未来のミライ』テーマ曲やテレビドラマ『グランメゾン東京』テーマ曲のMVの中に登場した山下の代理キャラのデザインも担当していた。

*4:2008年2月に登場した『CRA新世紀エヴァンゲリオンプレミアムモデル』というパチンコのこと。2006年に登場した『CR新世紀エヴァンゲリオンセカンドインパクト』を基に、更に大当たりしやすいように改良された台。なお、このパチンコは2010年代に改正されたパチンコに関する法律の都合で、現在はパチンコホールで稼動することが禁じられている。

*5:お互いのメール内で、「ドル箱を満タンにするまで時間掛かりましたね」とか「ドル箱を満たすまでに時間掛かった・・・」と書いていたが、これは2021年まで存在した、名前に “CRA(※別称「甘デジ」「遊パチ」。)”とついているパチンコの特長のひとつで、通常のパチンコと比べて大当りしやすくなっているが、その分、大当りのラウンド数やもらえる球の数が“CR”とついているパチンコの大当たりでもらえる球の数と比べて少なくされている。

*6:主に、大当たりなどで出た玉(またはメダル)を入れておくための容器。両側に取っ手が付いているデザインが多く、形状・色・箱の深さはパチンコホールやゲームセンターによって様々。なお、2000年代後半以降、パチンコ玉の制御・管理技術の向上によって、ドル箱自体がないパチンコホールが増えてきているという。

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