洋梨とバックロールエントリー

敏宮凌一(旧ペンネーム・敏宮龍一)によるブログ。

『ある山下テツローの場合』→第29話

第29話:あなたお願いよ 席を立たないで

独断になるが、第28.5話から、“彼”のことは“山下テツロー(またはテツロー)”となるべく呼称している。
理由は、編集作業を文章に起こしている私の精神的に限界を感じてきたからである・・・。

山下テツローの遺品のUSBフラッシュメモリ内「2008」フォルダから「200808」より。ブログ掲載の都合上、一部自主規制あり。

08/21/08(2008年8月21日)

この日は休み。
今日も朝から曇っているが、外は暑い・・・。
この日は休みのパートナーと朝食をとる。

昼。
一度しか顔を合わせていない人だし正式な場へ行く気持ちであの人に合おうと思い、部屋のクローゼットから、黒とグレーの夏用の*1背広を出す。両方とも合わせてみたのだが、着る機会が少なかったせいか、それとも僕が痩せたのか、どちらも全体的に少しダブついている。黒色の物は前の職場で着ていた*2略喪服を思い出すので、グレーの方にした。ベルトを締めてどうにかすると自分の健康に悪影響が出そうなので、パートナーからサスペンダーを借りる。
この日の天候的にネクタイを締めて外へ出る根性は、前の仕事を辞めてブランクのある今の僕には無い・・・。少し悩んだ末に、亡き父の*3螺鈿細工付きのループタイを締めることにした。
昔、パートナーとのデートのときに一度着けた時、パートナーから「ジジイみたい」と言われて以降着けるのをやめていた。だが、今の僕は一応ジジイなのだから、このループタイを締めて外に出てようとしても、パートナーからも周りからも何とも思われない・・・と思う。
こうして僕は、「昔の友人に会ってくる」とパートナーに言って、家を出る。
現段階では、まだサトミヤさんのことはパートナーに言い出せそうにない・・・。

2008年8月21日の彼・その1

©2021 Ryoichi Satomiya

午後2時5分前。
立川駅構内の壁画のところでサトミヤさんと待ち合わせる。こんなに緊張するのは、パートナーに告白した時とパートナーの両親の墓前に立った時以来だ。
サトミヤさんはインドア派の人なのか、初めて会ったとき同様に青白い肌をしている。まだ若い人だからというのもあるのか、白のTシャツに*4短パンだった・・・。
それにしても、サトミヤさんには失礼かもしれないが、この時の僕らは何だか、*5老人と子供のポルカ」の*6映像の中の老人と子供のようだった。だが、今日の僕はこの曲のように「助けて」とは絶対に言わない。僕からアポを取ったんだから・・・。
そして、(立川駅)北口のほうにある、僕の行ったことが無い、駅から近くにある喫茶店にサトミヤさんと入る。そこで、クリームソーダとアイスティーを注文する。しかし、僕のところに来たクリームソーダが想像外の見た目だったことに少し固まる(店の出入口に飾ってあったサンプルと違っていて、ある意味詐欺だ・・・。)。アイスの量に寒気がしてしまった僕は、思わずサトミヤさんにアイスを分け与えていた・・・。

僕が来年死ぬことを言おうとした。ところが、突然サトミヤさんはバッグを肩にかけて帰ろうとした。僕はサトミヤさんが取った行動に驚く。そしてすぐに、あの人に言い聞かせて、どうにかサトミヤさんに席に戻ってもらった。

2008年8月21日の彼・その2

©2021 Ryoichi Satomiya

その後、*7数年前にあった僕のある出来事のことを話した。サトミヤさんには言わなかったが、あの時の話の中で、僕が『日本アンデパンダン展』の中にあったグリム童話の『寿命』についての作品の話や『老人Z』のことを出したのは、*8あの日、病院でがんだと言われた直後に頭の中に流れた、子供だった頃にテレビやラジオで聴いていた*9「死んだ男の残したものは」という歌の事を思い出したからだ。あの歌の歌詞は、ただひたすらに悲しかったのを思い出す。この「死んだ男の残したものは」の事は、機会があればサトミヤさんに言おうと思う・・・。

2008年8月21日の彼・その3

©2021 Ryoichi Satomiya

ところが、サトミヤさんの「人生最後のフェスに行って、YMOのお三方の姿も観ましたから、もう思い残すことは無かったんです。でも、あなたに遭ってしまったので、終わらせるタイミングを逃しました」という発言に、僕はついカッとなってしまい、サトミヤさんに対して強硬に主張してしまった。子供の頃に学生運動の時代の空気を吸ってきた奴の良くない癖が出た・・・。パートナーからも前々から指摘されていたのに・・・。このまま、この話が破綻してしまうのではないかと、沈黙の間で不安に苛まれる・・・。

2008年8月21日の彼・その4

©2021 Ryoichi Satomiya

僕はサトミヤさんに「僕が死ぬ前までで良いので付き合ってほしいこと」とか「どのような形でも良いので、僕と付き合って得た物事を発表して」と、語彙力の少ない僕はサトミヤさんに向かって、勇気と僕の中のつたない語彙などなどを振り絞りながら、サトミヤさんに頼み込んだが、サトミヤさんは再び席を立って逃げようとするのだ。その度に、僕はサトミヤさんを再び説得しに行った。僕はサトミヤさんの逃走を阻止することに必死だった・・・。この人を逃したら、僕自身、葬儀をキッカケにいなかったことにされてしまった亡くなった人の一人になってしまうのかと思ってしまったからというのもある・・・。
前の仕事の中で、葬儀をキッカケに亡くなった人と残った人の思いや絆があっけなく消える瞬間を何度も目撃してきた。「これで厄介払い出来た」という感じを出しながら火葬場を後にする遺族や参列者が多いのには正直応えた。中には、火葬中に「これで、子供(または夫)からの暴力や金せびりから解放されるし、これで子供(または夫)の遺品や写真を心置きなく捨てられる」などと談笑している遺族もかなりいた・・・。
会社のかつての先輩や今はいない同期の一人に、この事を相談した時は「いちいち気にしていたら、息が出来なくなる」とか「生きていれば、そんな思いは気にもならなくなるし、必ず忘れる。*10ユニコーンの歌にだって“振り返ると終わり”っていうのあるだろう?」と言われたことがある。もしも僕が死んだらパートナーとの関係も終わってしまうかもしれないだろうし、僕という*11礫がいたことを伝える人が一人もいなくなるのかと思った途端に、なんだか本気で怖くなった・・・。

その後、何とか頼み込んだ末に、サトミヤさんは僕と付き合ってもらえる空気になった気がするが、また逃げられてしまうような気がしてならない・・・。
サトミヤさんをもう絶対に逃がすまいと、僕は急遽、僕とサトミヤさんの共通の趣味であるパチンコに誘って、もう少し気を許してもらおうと試みることにした。だが、パチンコへ行くことを事前に考えていなかったので、(立川駅)南口に向かう途中サトミヤさんを少し待たせて、*12鉄道電子マネーの残高確認をする振りをして財布を覗いたが、パチンコの軍資金に使えそうな金は心持たない額しかない。ATMを探す時間もないので、サトミヤさんの所へ戻ると、僕は玉砕する覚悟で南口へ足を進めた・・・。

僕が行きつけにしている(パチンコ)ホールの1つにサトミヤさんを連れて行くと、一緒に空いてそうな台を探し回る。
だが、時間帯が午後だというのもあるのか、ホールにある*13普通の(大当たり)確立の台が設置されている*14シマには空きが無い・・・。*15甘デジのシマまで行って、丁度良く2台空いていた*16エヴァ』に座る。
だが、サトミヤさんがスタート68(回転)で*17ミッションモード」に突入した途端、*18「この回転でリーチをかけろ」という謎のミッションを成功させて、確率変動大当たりになったというのを観た。僕は「ミッションモード」すら出なかったのに・・・。

2008年8月21日の彼・その6

©2021 Ryoichi Satomiya

僕はスタート285(回転)くらいで、大当たりを引くも、5ラウンド・4回で終わってしまったが、サトミヤさんは*19エヴァを何度も暴走させては、*2015ラウンド(大当たり)連発しているのを観ていて、心が折れてしまい戦線離脱した僕は、「カッコいいところ、見せたかったんだけど・・・。本当、俺ってヒキ弱だ・・・」と思いながら、隣でサトミヤさんが打ち続けているのを見ていた・・・。

→つづく・・・。

*1:平成時代まで、日本の男性の間で使われていた「スーツ」の呼称。

*2:「略礼服」とも言う。主に、日本の男性が「平服で」と指定された葬儀や結婚式に参加するときに着るものの事。無地の黒(ブラックスーツ)や無地の濃紺か暗めのグレーのスーツ(ダークスーツ)というのが多い。ちなみに、黒っぽい色味のスーツの事ではない。

*3:「らでんざいく」と読む。アワビ貝や夜行貝などの貝がらの内側にある真珠層(※光沢のある部分。)を切り出して加工した細工物のこと。釣り道具やループタイなどのような小さい物もあれば、調度品などのような大きい物もあるという。平成時代までの日本を含むアジアやオーストラリアの工芸品に多く見られた。

*4:いわゆるハーフパンツの俗称。平成生まれの人ほど使わないらしい。

*5:1970年にリリースされた歌謡曲の1つ。歌っていたのは、大正時代から昭和時代の中期に活躍した俳優・左卜全(ひだり・ぼくぜん)と、劇団ひまわりから選抜された女子小学生によるユニット「ひまわりキティーズ」。曲自体は軽快なリズムだが、歌詞には“『ゲバ(※学生運動の俗称。)』『ジコ(交通事故)』『スト(ストライキ)』の被害者は老人と子供である”という痛切な叫びが込められているという。ちなみに、左卜全はこの曲を発表した翌年の1971年に77歳で他界した。

*6:テツローがテキストの中で書いていた映像は、今のところネット上でのみ視聴可能。

*7:第27話を参照。

*8:第18話を参照。

*9:ベトナム戦争の最中の1965年4月22日に、東京・お茶の水全電通会館ホールで行われた『ベトナムの平和を願う市民の集会』のために作られた曲。作詞・谷川俊太郎、作曲・武満徹。当時のバリトン歌手・友竹正則氏によって披露されたことによって、日本の反戦歌の1つになったという。この曲は現在でも、小室等大竹しのぶ・森山良子・矢野顕子などの有名アーティストや、日本中の様々なジャンルのミュージシャンにカバーされ続けていていたり、小・中・高校の音楽の教科書に載っていたこともあったほかに、2021年に放送された、音楽家大友良英による武満徹のテレビ特番の中でも、この曲のカバーが披露された。

*10:たぶん、ユニコーンの「スターな男」という曲のことではないかと思われる。

*11:「れき」と読む。主に、直径2mm以上のあちこちに転がっている石の事。

*12:彼が書いたテキストでは「ス〇カ」と書かれていたが、諸事情で変更させていただいた。

*13:2000年代前半までの「甘デジ」じゃないほうのパチンコの大当たり確率は1/290から1/550というのがあった。だが、この頃のパチンコに関する法律や、1990年代から社会問題になっていたギャンブル依存症のこともあってか、2000年代後半に製造されたパチンコでは大当たり確率が1/280から1/390と言うのが主流になっていったという。

*14:パチンコホールアミューズメントパーク内に設営されたパチンコ・スロット台の1列を指す単位。一般的には片側1列全部を示すが、パチンコ業界的には台が背中合わせになった2列を指すこともあるという。 なわばりの意味の「シマ」ではなく、設置された台の列がホールの中にある「島」のように独立して並んでいることから来ているらしい。

*15:2021年まで日本中のパチンコホールに存在した、名前の頭に“CRA”とついているパチンコの別称。「遊パチ」とも呼ばれていた。通常のパチンコと比べて大当りしやすくなっているが、その分、大当りのラウンド数やもらえる球の数が、“CR”とついているパチンコの大当たりでもらえる球の数と比べると、少なくされている。

*16:2008年2月に登場した『CRA新世紀エヴァンゲリオンプレミアムモデル』というパチンコのこと。2006年に登場した『CR新世紀エヴァンゲリオンセカンドインパクト』というパチンコを更に大当たりしやすいように改良されたもの。なお、このパチンコは2010年代に改正されたパチンコに関する法律の都合で、現在パチンコホールで動かすことは禁じられている。

*17:変動中に突然突入する特殊ステージ。制限時間内に指定されたミッションを成功させると、大当たり確定になるというのもの。大当たり期待度薄めの5分ミッションと、大当たり濃厚な1分ミッションというのがあった。ちなみに、2004年に登場したパチンコ『CR新世紀エヴァンゲリオン』が、「ミッションモード」を搭載した最初のパチンコだと言われている。

*18:2021年で一応完結したパチンコ『CR新世紀エヴァンゲリオン(現・エヴァンゲリオン)』シリーズの「ミッションモード」中だけの、出ただけで大当たり確定になるプレミア演出の1つ。

*19:パチンコ『CR新世紀エヴァンゲリオン(現・エヴァンゲリオン)』シリーズに搭載されていた、通常変動中に「1・3・5」という図柄が止まると始まる「暴走モード」という、独自の確率変動のこと。大当たりを引くまではエヴァンゲリオンが制御不能になるというものだった。ちなみに、エヴァンゲリオンのパチンコの種類によっては、「暴走モード」よりも上位の確率変動モードが搭載されていることもあったという・・・。

*20:1990年代から2019年までに製造されたパチンコの大当たり最大ラウンド数は15から20までという台がほとんどだったという。しかし、2020年にパチンコに関する法律が改訂・施行された都合で、2020年以降に製造されたパチンコの大当たり最大ラウンド数は10までとなっている。

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